第62回アトリエ訪問   書 金谷雷聲

■■裾野が広がることが書の文化が生き続ける培養土となる■■

1959年 呉市音戸町に生まれる
県立広高等学校を経て大東文化大学卒業
栗原蘆水・大室蒼穹に師事
2009年 読売書法展準大賞受賞(二回目)
現在 日展会友、読売書法展理事、日本書芸院 一科審査員・理事
広島日展会会員、広島県書美術振興会常任理事、呉市美術公募展審査員、
呉市美術協会理事、呉市書道協会副会長、若葉書道会副会長、
書道研究臥龍舎専務理事、書道研究雷門会主宰/蕾門会代表

■ 郷土の息吹
浅き冬、暖められたアトリエは、大きな卓と掛け軸の裏打ちをする壁と、多くの書物に囲まれて、自然に心地よく調質されている。
金谷雷聲氏のアトリエを訪ねて、流れる音楽と共にお会いした笑顔に、穏やかな、そして軽妙お洒落な親しみ易さを感じた。氏が育った呉は、万葉の歌にも詠われた地であり、現在も筆の工房がある川尻と熊野に近く、書の文化を存分に呼吸できる郷土であるとのこと。音戸に生まれて4歳から近くの書道教室に通い、現在も敬慕する栗原蘆水氏、大室蒼穹氏に師事し、大東文化大学で学んだ。地元に戻ってからも、良い先輩諸氏がたくさん呉におられて、書のみならず、生き方全般において薫陶を受けたそうだ。

■ あたらしい表現がうまれるところ
大学に通う折、隣人の表札をローマ字で揮毫するなど、普段の生活の中でも書で遊ぶことがあった。村上三島によって提唱された読売書法展の調和体が、村上俄山氏、栗原蘆水氏などによって拡がりはじめ、近代に生きる人々の心に浸透していった。自身も自然と調和体の作品を制作するようになったそうだ。新しい表現は、其処に生きる自分の中から芽吹く。この場合、時代が土壌。いにしえからの書の命脈は幹をしっかり維持したまま、今を生きる人々の手によって新たな流れも生み出すものなのだそうだ。

■ 裾野を広げる事始め
高校の教員を25年続けた。学生たちに臨書を指導する一方、身近なポップスの歌詞を調和体で表現させると、とても楽しそうに取り組んでいた。と氏は顔をほころばせる。浜田省吾、レベッカなど、学生が共鳴する詩をとりあげて書かせたそうだ。全日本高校・大学生書道展で全国4位に入賞した清水ヶ丘高校で、普段からFMが流れる部室は、リラックスして書ける環境づくり。生き生きと書に励む姿は頼もしい未来につながる。教員と書道家の二足のわらじの期間も充実していたが、47歳で重心を書におく覚悟を決めたそうだ。制作とともに書の文化を維持する仕事も同様に勤めているため、月に何回も大阪に行かれるなど多忙である。

■ 伝わる、統べるの源にあるもの
世の人の書に対する態度はさまざまだ。基本を身に染み込むように研鑽する。自身の本質との格闘。終わる事の無い正統な書の道を探求する生き方がある。また、面白い事をしたもの勝ちとも言える、人生を楽しむカルチャースクールでの書道。この二つの存在について、氏は寿司を例にあげて話された。
職人がネタの鮮度、シャリの出来、にぎりの温度と至極の魂をこめた寿司。素晴らしい味を堪能できる人数にはかぎりがある。寿司の文化はそれだけでは世界に広がっていかないし、庶民が親しむ事ができない。手軽ということだけでなく、果てはアボガドや唐揚げなど普段その土地の人が口にするものを取り込んで、裾野が巨大になるほど、鮨の文化の深 みが増し、生き続けるのだといわれた。

■ 蕾と雷
蕾の会は、氏が指導されているカルチャースクールだ。楽しく書に触れ、人生を豊かに生きる人々皆が、書の文化を支える土壌なのだそうだ。書道研究雷門会、蕾門会を主宰され、老若男女、研鑽の形もそれぞれに書に向き合っているとのこと。ちなみに蕾の名は、氏の号の文字のひとつ雷を優しい響きに展開したものだそうだ。しかし、氏に直にお会いして話をきかせていただくと、蕾のみならず「雷」という読みの響きにも優しさを感じてしまう。雷が地に向かうのは何故か。天と地の電位差を解消するためである。雲 間で光る。宇宙に伸びる。どんなときも偏りすぎた空間を調和するため、雷は聲を響かせる。雷の源の雲さえ星々からの放射線が増える時期に多くなる傾向がある。地上の生き物は雷雲に守られているのだ。氏か らイメージするのはそういう雷の姿である。
アトリエを辞す前に書いていただいた筆耕。勢いよく繰り出される筆に慈しみが載り、気流が着地した時、柔和な言葉が完成した。

<文/泉尾祥子 ・ 写真/原敏昭>

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