第59回アトリエ訪問  林桂翠氏

■ プロフィール
生:昭和23年(1948年)、広島県尾道市生まれ
師:高田折桂 青山杉雨 栗原蘆水 石永甲峰先生

福山書道連盟理事長
広島県書美術振興会常任理事 兼 事務局長

■街の遺伝子

福山、尾道などの都市を訪ねると、いつも想う事が有る。
戦後の復興のエネルギーはよく言われるような経済発展だけをもたらしたのではない。様々な文化が市民の間に浸透し、その地を牽引する人々が多く輩出した時期でもある。
そして、忙しく興味の対象を変えていく大都市とは違い、中型の街では積み重ねた時が丁寧で、人々の心を形作る基礎となり残っていくように感じる。

林先生の仕事場は、マンション最上階の空中アトリエ。眼下には近くに迫る島影との間をタグボートや小型の船が幾つも軌跡を描いて行く、箱庭のような海がきらめいている。
ベランダで風を浴びさせていただいた後、白と黒でモダンに統一された室内でお話を伺った。教員をされた年数は38年。書道のクラブ指導を熱心にされ、多い時は展覧会毎100余の手本を書くなど、体力と気力が充実していないと続けられない。夏休みなどは朝6時からよる7時まで学生はクラブ活動に取り組む。これだけでもハードだと思うが、先生は5時半から準備に入る。書展や文化祭などのほかに発表の機会と街の人々との交流をはかるため、イベントもおこなう。
書道パフォーマンスだ。地域のイベントが盛り上がり、多くの人々が集まる牽引力となっているそうだ。見る人には楽しい時間を過ごしてもらうが、書は大道芸ではないときっぱりおっしゃっていた。大きな作品を人前で書として完成させる力量は日々の鍛錬があってこそなのだ。

■ 霞が晴れると…
いまでも創作に入る時は「字集め」「くずし」「また戻す」の過程をくりかえしていく。
書の品格を高めるには思想がないと深まらないが、これも延々と続く模索の日々であるとのこと。ひとつの真髄をもとめて霞の中を行くうちに見え始める。だんだんと形が極まって来た頃にはまたその奥に霞が潜んでいることに気付き、また目標が定まる。この繰り返しなのだそうだ。

■ 文化の発信と吸収
丁度北京オリンピックに湧いていた頃、日本食文化の講師として奥様が中国の天津に滞在されていたそうだ。その間林先生は、中国を何度か訪れ、現在変わりつつ有る国の空気に触れてきたとのこと。
上海万博が開催され文化・文明もまた新たな分岐点を迎えているそうだ。
一方で林先生が時々行かれる杭州の筆匠漢筆坊には長年洗練されて来た文化の結晶である名筆が存在する。
中国の歴史の深さの恩恵である。筆は心を伝える道具。滲んだり、かすれたりの潤乾が芸術を形作るそうだ。文化を発信するには自分も新しく吸収し続けなければならない。といわれた。今日も、林先生の気迫をのせた、命の躍動の線は、黄河を墨に筆先から迸っているに違いない。

<文/泉尾祥子 ・ 写真/原敏昭>

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取材中の風景