アトリエ訪問第14回 宇佐川 良氏

命とは? あの喜びも、この悲しみも、時にきざまれながら
人生とゆうもようをおりなしてゆく、過ぎ去りて優しい想い出となって、時の出会いにとけこんでゆく。

プロフィール
1931年 廿日市市生まれ
1964年 紀元会展新人賞
1974年 昭樹会創立 代表になる
1978年 大調和展出品 会友
以後大調和賞、武者小路賞受賞8回
1996年 大調和会会員推挙される
2002年 広島の絵画110人展(福屋)中国新聞社主催
2003年 画業50周年記念素描画集発行
2004年 安芸高田市八千代の丘美術館一年間個展
現在 大調和会運営委員・広島支部代表・
慈彩会会員・ アトリエ良代表

  宇佐川先生のアトリエは美味しい空気や湧き水と、温かい地元の人々に囲まれた北広島町南方の山のふもとにあった。高速の千代田インターチェンジからも近く、週に何度か広島市内からご夫婦で車を飛ばし泊まりがけでお見えになっている。鹿やウサギもちょくちょく訪ねてくるそうでまさに自然と共生されているといっても過言ではない。広いアトリエで大作をモノにされる傍ら、若い“森の人たち”に本物の絵画を教え、時に皆で歌い、語り、ダンスを楽しまれるという。アトリエの両サイドには広島市長・廿日市市長・地元教育委員会などからの地域貢献活動に対する感謝状や、紀元会、大調和会からの賞状が数多く掲げてあったが、それらとは別に、歴代の首相名で出された紺綬褒章額の菊の紋章が幾つも金色の光りを放っていたのが印象的であった。

  15歳で原爆に遭い29歳で絵描きとして独立するまで、我々が体験し得ない数奇な人生についてお話いただいたが、最近になってやっと公民館や学校で、それまで封印していた原爆の悲惨な体験を講じられるようになったそうだ。原爆に纏わるものは原爆記念館の地下に展示されている作品の外に幻の1点だけで、以後は一切描かれていない。

  先生の人生と同じように絵画も多次元の世界をもたれている。その中で一番描きたいものは、この美術館に展示している4作品のはじめにあるような「プリミティブな絵~神秘的・童話的なもの、それとは別にクラーベの作品は特に好きだ」といわれる。「描く対象をとことんフォーカスしていくと抽象画の原型にたどり着くものだ」、「日常の営みを超越できればぜひ抽象画を描きたい」ということであった。

  先生が中心的な活動をされている大調和会は、そもそも岸田劉生や武者小路実篤が世代や立場を超え自由・平等な関係で芸術を楽しむ趣旨で創設されたことを初めて知ったが、今の高齢化時代にふさわしいテーマではなかろうか。

  「人と人とのつながりのなかから、良い作品を生むことができ、それが自分の人生だ」とご夫妻の心温たまるもてなしを受け、数かずの素晴らしい大作を鑑賞させていただき、さらに先生が発する強いエネルギーのご相伴にあずかった至福のひと時であった。

<文・馬場宏二/写真・原敏昭>

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取材中の風景