アトリエ訪問第29回 守長 雄喜氏

正月気分が抜けない小春日和の中、安佐北のゆるい坂道を登りかけたところに、陽光を浴びた白い洋館の入り口に一際目立つ守長家の白い表札を見つけることができた。玄関横のアトリエに、先生自ら快く迎え入れていただき、そこで制作中のものを含め多くの作品にであうことになった。

  先生は若かりし頃、県営住宅の4畳半の部屋で100号の絵までも描かれていたそうだが、大きな絵の搬出に大変な思いをされた経験から、まず出し入れを優先して現在のアトリエの設計をされたという。おかげで撮影班は苦もなく屋外に作品を持ち出し撮影にとりかかることができた。適切な光量を得ることにより、写真は色彩の諧調を忠実に再現することになる。光量さえ満たせば超高画質カメラは、油絵具のディテール、筆づかいの冴えを見逃すことがない。(注:左の写真とは別のもの)

  先生は県内の山間部の農家で育ち、毎日静かな野山の中で、子供にとっては過酷な農作業のお手伝いに明け暮れたそうだが、中学のとき宮島への修学旅行で初めて海を見られたという。初めて海を目にした感動があまりに強烈だったため、もっぱら海とのかかわりをテーマにした作品が多い。「農村も漁村も(暮らしぶりは)一緒だが、漁村にはダイナミックさがある」ということから海と人の営みとのかかわりを念頭に、牡蠣打ち場の絵に取り組まれ、日展や光風会において高い評価を得られた。それ以降、技術系の専門職を定年まで勤める傍ら、牡蠣打ち場のシリーズを描き続けて数々の賞を獲得されている。途中、国内や中国山地を頻繁に巡回し海外の主要国を数多く訪れることがあっても、それ以外に強く突き動かされるものに出会うことはなかったようだ。

  先生はもう70歳を過ぎたといわれるけれど10歳近く、むしろもっとお若く見えるのは、アートの世界において秀いでた先生方に共通することのようだ。それなのに教えるほうは中国新聞文化センターのみに限られていて、持てるエネルギーの殆どは絵の道を極めることに注がれている。

<文・馬場宏二/写真・原敏昭>

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取材中の風景