生まれ育った県北「故里」へのおもいを忘れず、みて、感じ、感動し、連想しながら、かいたり、つくったりする楽しさや、喜びを持ち続けてゆければと思っております
■アトリエのこと
先生のお宅は五日市のバイパスより北側の小高い場所にあった。塀の前にある農家の畑に何本もの蝋梅や木と横手や背景の竹林や木々が独自の風情をかもし出していた。秋になると栗やタラの芽などの自然の恵みがあるという。庭には色づいた金柑の木や様々な植木があり透き通った流れる池には鯉が泳いでいた。金網に遮断された庭の片隅には、家族の一員であるダルメシアン犬が鎮座して我々を出迎えてくれた。
1階の玄関を入るとアトリエまでギャラリーのように何枚もの絵と焼き物が置かれていた。ご自分の作品だけでなく山口長男と東郷青児の絵もあった。天井が高いアトリエにはご自身の故里への思いを込めたような優しい感じの牛の絵や天狗シデ、亡くなったレトリーバー犬の「アイ」と出会ったばかりの「ラブ」君の写真や絵、そしてちょうど200号にちかい縦長のキャンバスがデッサン中であった。陶芸は教職にあった頃に始められこのアトリエで陶芸仲間との会を開いたと聞きました。
■学びのこと
70歳を過ぎた先生が、背筋を伸ばしまるで教室で講義されるように立たれたままお話いただいたとき、12月にもかかわらず素足のままなので、ついそのことに話を向けると子供の頃からの習癖で家では冬でも靴下を履かないということに寒がりやの小生にとっては大変な驚きであった。
ご出身高校は前回訪問した福永先生と同じ県北にある新庄学園のご卒業であった。学園の先輩後輩に多くの美術作家がいらっしゃって毎年OB展が開かれていることなどをお聞きする限り、先生の美術教師だった小田否昭師の「香をたいて薫りを染み込ませ、土をこねて形を整えながら陶器を作り上げる意から徳の力で人を感化し、教育する」という薫陶があったと察せられる。高藤先生も褒めて才能を伸ばす教育が方針を持っていらっしゃることからして観音中学校長まで勤められた教職時代だけでなく、その後縁あって保育園児との出会いの中での造形あそび、師の心を引継がれているに違いない。ただ最近の学校では人の喜びや悩みなどの思いを表現する美術や音楽などの時間が少なくなって残念な思いをされていた。
■二科会のこと
先生は二科会広島支部長をされている、第93回二科展(広島では53回目)が1月6日から11日まで県立美術館で開かれる。他地区と違い広島では美術や彫刻、デザイン、写真の4部門が同時開催になる。二科会広島支部の活動は部ごとにさかんに活動されている様子だ、絵画部においては、毎月定例の批評会や岡山支部と交流して写生会なども行われている。
<文・馬場宏二/写真・原敏昭>