「スケッチの面白さは、モチーフとの対話。森林浴、ドライブに欠かせない。小さな発見や喜びが打ち寄せる。」
高陽中央通り戸坂を超えて少し入ったところに車を止め、JR芸備線の坂道のガードを潜り抜けると山が迫り、すぐ右側に立派な石垣を土台にした旧家がある。住人の気配がない草生す二階家が上野氏のアトリエのひとつというので驚いた。アトリエにしているのは、ここだけでなくご自宅や近くの線路脇の家屋、さらには実家もそうなのだという。
少し雑談していると、上野氏が一枚の絵を片手に現れ、旧家の鍵を開けモンサンミッシエルや舞妓の大きな絵が並んだ部屋に通された。当日朝の5時まで絵を描いた後、自宅に帰り出直されたとのことであったが、疲れも見せず絵や仕事など幅広い話題に応じていただいた。
お話によると、上野氏は、中国新聞社文化部や編集記事審査部の役職を経て、現在NHK文化センター広島教室、毎日文化センター広島教室、倉敷芸科大文化センター、広島市南区民センター、広島市高陽公民館・古田公民館、など裾野まで含めた数多くの絵画教室の講師として、門下に元陽会・内閣総理大臣賞をはじめとする多数の入賞者を輩出されている。
中国新聞時代は役目柄、作家としての表立った活動は控えられ、裏方として広島地域の美術振興に貢献されている。かって師事された東光会の武永先生からは大そう重宝がられ師範代のような働きをされてきたそうだ。
話の端々に、多くの作家の画風を学び、絵の原理、理論、技法を知り、色調、形、バランス、表現について、豊富なボキャブラリーを駆使して誰にでもわかりやすく具体的に教えるコーチ役がまさに適役ではないかと感じさせられるところがあった。プロスポーツの世界では一流のプロを教えるコーチが必ず在るし、実業会では有能な経営者を指導するエグゼクティブコーチングの時代に入っているが、上野氏はポイント指導できるベストコミュニケーターといえるかもしれない。
絵に対する思いもレベルも全く異なる全くの素人に、絵の楽しさ、素晴らしさを感じてもらい、興味を持ち続けるように平易な言葉でコミュニケートしていくことは容易ではない。
本格的に作家としての活動は1999年から。経歴を見るとその年に元陽展への出品を開始して奨励賞を受けられている。2004年に中国新聞を退職されてから福屋駅前店での個展を開始、今年も7月末の週に開催を予定されている。また、今年4月号から、もみじコンサルティング㈱の経営情報誌「もみじビジネスレポート」の表紙で、もみじ銀行取引企業はどこも広島をモチーフにした上野氏の作品を、毎月観ることができるようになったそうで、持参された作品は、まだ油絵具が乾いていない次号の呉ポートピアを描いた作品であった。
お別れするとき、所属されている美術団体・元陽会同様、当ひろしまインターネット美術館の行く末まで慮っていただいていることをお聞きした。そこでNPOとして5周年を迎えた当美術館の礎を支えていただいているお一人であることを改めて認識すると共に、このアトリエ訪問事業において、忙しくても暖かくお迎えご協力いただいた諸先生方に対する感謝の念をひとしお強く感じるに至った。
(文・馬場宏二 写真・原敏昭)
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