炎色、自然釉の美しさを求めて、穴窯を焚いています。
我々の車は湯来温泉に入る少し手前の表通りから右に折れ山道に差し掛かったところでアトリエの場所を求めて少し戸惑ってしまったけれど、木々の間から軒下一杯積み重ねた薪が見えここが高木先生の工房に違いないと確信した。そこで若い内弟子の藤原嬢と一緒に先生が待ち受けていらっしゃった。
一般に道端や表に看板を出されることが多いのだが、人を呼び込む表立ったことは避け、一意専心して作品作りに取り組める環境を造られている。山、竹林、背高の赤松林、1本のもみじに囲まれた工房には3台の轆轤、棚に並んだ完成途中の沢山の作品、机や椅子、そして奈良から取り寄せた粘土のほかは一切置かれていない。
そもそもの先生と陶芸との出会いは30年前。ご主人が五日市のコイン通りに大きなビルを建設されるとき、建物の1フロアーを文化や教育を柱にした集客交流の場に充てることを意図されたときに始まっている。いまそこがボンジュールファミリー教室として数々の文化教室やボンジュール陶芸教室が開かれ賑わいをみせているのだが、その目論見の一つに自ら陶芸教室を開くという決意の元に、ご主人と共に陶芸作家の作品を見て歩き、お二人とも奈良の松元洋一氏の作品に感銘を受け、弟子入りを拒まれてもお構いなく師と仰ぎ修行を積まれてきた。筒を思うように立ち上げるまでに10年かかったとお聞きしてなんと根気強いことかと思う。18年前に窯場を作ることを決意され師匠と一緒に場所探しをされ、五日市から30分のこの地に夢白窯が誕生した。ここでも先生の根気強さが実を結んだようだ。
夢白窯が焚かれるのは1年に一度9月だけ。5日間夜を徹して窯を焚くとき、西日本各地から20人近くが集る行事になるという。そのときの窯に入れる作品の数は1,000になるそうだ。そして1400℃の高温のなかで自然釉の美しい作品が、長年培った技を見せて生み出されるのだ。
実際に轆轤を動かす様子を写真に納めたいという厚かましい申し出を快く受けていただいただけでなく、意を決し本物の作品ができるところまで記録させていただいた。目の前で先生の気を込めた両手と体全体が土の塊と一体になり、見る見るうちに、腕の長さ一杯の壷に仕上がる様に、何か感動的な思いがして、自分もデジカメのシャッターを押していた。
その日は皐月晴で本当にすがすがしい1日だったが、お二人の細やかな接遇と、工房と窯場に挟まれた中庭にある洒落た青緑色のテント傘の下での珈琲タイム、穴窯めぐり、迫力ある作品作りを目の当たりにしていっそう素晴らしいアトリエ訪問になった。
略 歴
1953年
山口県柳井市に生まれる
1975年
学習院大学卒業
1979年
ボンジュール陶芸研究所(広島市佐伯区五日市)主宰
1990年
松元洋一氏に師事
1996年
広島市湯来町に穴窯(夢白窯)を築く
1998年~
広島・山口・東京・京都・兵庫にて個展活動
(文・馬場宏二 写真・原敏昭)