プロフィール
1947年 広島県に生まれる
1973年 東光展東光賞 安井賞候補新人展出品
1979年 昭和会展招待出品 日展初入選
1990年 日仏現代美術展パリ展クリテック賞・ロイユ賞一席
’91 ’94
1992年 いのち賛歌日本画百人展特選 上野の森美術館
大賞展佳作賞
1993年 人間讃歌大賞展奨励賞(’96佳作賞)
1995年 安井賞展出品 東光会員選抜展優賞
東光会審査委員
1997年 田中一村記念奄美日本画大賞展入選
1999年 現代墨への挑戦ー東海テレビ墨画展奨励賞
春日水彩画展佳作賞
2000年 現代洋画精鋭選抜展佳作賞
現 在 東光会審査員
ようやく長い梅雨が明け、入道雲が現れた朝、綺麗に手入れされた植木のある野口邸に伺う。「ここでは大きな作品を描けない」とおっしゃる2階のアトリエは、高い天井に取り付けられた扇風機が静かに舞う、洒落て理想的な男の書斎。見事に演出されたインテリアや工芸品と、一つ一つ気配りして配置された本やワインボトルがプレステージな雰囲気を醸し出していた。部屋の中央にあるサイドテーブルの上には最も好きな花だと言われるむくげの一輪挿し。
木綿風のやわらかい白むくげ花を描いた幻想的な作品など、先生の花シリーズが「銀座ギャラリー一枚の繪」や絵画展を通じて、沢山の人の心を癒されていることは間違いない。その“癒し”をテーマに、なんと1万枚の作画がライフワークということ、さらにご自身の手ですべての作品を撮影しCDに収め続けられていることに感動する。
絵を描き始められた頃の大作のテーマは原爆を落とされた直後、草木も生えないと言われた川辺に立ち並んだバラック、そして現代(いま)は赤錆の出たコンクリの造作物と活草。ひろしまの復興の原点と称されたバラックを、最後の1軒が消えるまで描き続けられたそうだ。今昔のテーマの奥深い共通点は、消え行く生命と強く生きる姿の象徴と捉えられているところなのだろうか。
備付の冷蔵庫から取り出された珈琲をいただきなが ら,戸河内にあるもう一つのアトリエの写真を見せていただく。山荘風の母屋の横にある70年前につくられた土蔵を和紙や板を使い改装されたそうだが、プロの建築家が工夫を凝らしたような出来栄えであった。さらなる願いは海の傍に、大作が描けるアトリエを持つことだそうで、おそらく早々と実現されることだろう。癒しの花、写真、ゴルフ、石原裕次郎、お互い話は尽きなかった。
<文・馬場宏二/写真・原敏昭>