人物の精神の内奥を描きたい。人に刻み込まれた歴史を追って深化する画想は、自然の中で一生を送るものすべての愛と通じている。
■1941年4月 竹原市生まれ
2001年 竹原ゆかりの作家展 安森征治
2006年 土の華 今井政之・インドの風 安森征治(二人展)
スケッチ集「インド・風と人」刊行
2008年 第74回東光展 「聖水」文部科学大臣賞受賞
現在 東光会理事・日展会友・絵画グループ 「森の会」主宰
町並みGallery S.館主・福山平成大学教授
■ 春夏秋冬の庵
真冬。前日雪が降って高速道に乗れず、旧街道ぞいの雪景色を見ながらの訪問となった。竹原は広島市より温暖。着く頃には日射しが明るくなって、車は散歩がしたくなる道に入っていく。
大きな寺のとなりに庭を囲む瓦屋根。安森先生の自宅とアトリエがある。
中に入って目に入るのは書棚や絵画の他に枯れた植物だ。大きな山帰来やヘクソカズラ、カラスウリの蔓、ヒッツキモッツキなどの冬枯れの香りがそこに あった。30代につくられたというアトリエは、母屋より現代風なのに 長年ここで絵を描く時間を過ごされたせいか心が休まる茶室のようだ。
■ 人の中になにを視るか
近年、人物像ではインドの老人をモデルに選ばれる事が多い氏に、その真意をきいた。その絵にする対象の変化は興味深い。はじめは、千光寺や広島の公園に集まっているホームレスを10年位描き、お年寄りや靴 屋などの職人に移り、インドの人々へ。
その目は姿形の変化ではなく人の精神性を追っている。物質文化のなかに生活している日本人としての自分や社会を見つめ直す行為でもある。
■ 文化の景色、自然の景色。
モデルとなるインドの人々を取材に行く時は、インド用にとっておいた古着をきて現地になじむ工夫をしているとのこと。
氏がインドを訪ねた折のスケッチには、11月に行われるヒンズー教のブラフマーの祭り、ラクダの市での人々の様子やタージマハールへの巡礼、普段の一日を過ごす人々、笑いさざめく女子学生たち、ひがな一日売れそうにも無い商品をならべて座っている老人などが生き生きと描かれている。
生きていくために必要以上の物を求めていない人の姿。そこに是をみる氏の目はやさしい。
また、風景やそのなかに生きて来たものたちへの眼差しにも共通する思いが満ちている。氏の宝物と称されるものをみせて戴いた。
それはトンボ、セミ殻、カマキリ、タマムシ、カタツムリの殻、ヒヨドリのミイラ。これらは、よくある捕まえた標本などではなく、庭に落ちていたもの、偶然に見つけたものなのだ。
自然死を迎えた生き物達。厳しい自然へ立ち向かう一生を考え、愛おしく思う…。丹念に描写された、かつて生きていたもの達。その筆にこもる想いもまたエールのようだ。
■ 在ることの幸い
アトリエに訪ねた日は、氏が教授を勤める福山平成大学の女学生が3人離れ座敷に泊まっていた。アトリエから一歩出ると、彼女達のにぎやかな様子が縁側から見える。
つづいて氏の奥様が先に行って開けられているギャラリーSを訪ねた。竹原町並み保存地区にあるギャラリーは古民家を使用したものだ。高い天井を支える太い梁、佇まいはそのままに、中二階の冷たい空気をロールカーテンで仕切ったり、絵が映えるようにボードを手作りしたりと、ご夫婦で工夫してある。長らく使われていなかった建物の厚いホコリを掃除するところからはじめられたそうだ。
その日はひな祭りの行事にそなえて氏の描かれたひな人形の絵画などが飾られていた。暖かいコーヒーを入れていただいて、しばしの時間をそこで過ごした。
そこへ先程の女学生たちも合流。彼女達は将来保育の仕事に携わる夢をもって、美術に音楽に児童心理にと、多彩な講義を受けている。絵の技術だけでなく、その対象を視る目に愛をともし続けてほしい人々だ。氏との関わり方は、それがしっかりと実現していく様をみるようであった。
在る事をみつめ、在る事を愛し、在る事の幸いを伝えていく。
春夏秋冬の自然や人生の厳しさを超えて続いていく営み。それが集約されている結び目こそ庵と呼ぶにふさわしい。氏のアトリエは、生きるものすべてに開かれた「道標」であると思った。
<文 泉尾祥子/ 写真 原敏昭>