アトリエ訪問第33回 掛田 敬三氏

「人や草や木や石や雲や水やコンクリートや鉄や・・・・・・・・
みんな時間という風に曝されています。」

1954年 広島市に生まれる
1978年 新協展初出品
現 在 新協美術絵画部委員、広島県立観音高校教師

  先生のアトリエは、大田川本流の本川沿いにあるマンションの1階にあった。此処の町名は、江戸時代に対岸の住吉町あたりを藩の船が出入りしていたことから「船入(ふないり)」と呼ばれ、のちに「舟入」と記されるようになったことが由来である。お住まいは同じマンションの2階であるが、ご実家が近くで、大きな絵の収納場所にもなっている。

  訪問した日は金曜日で、勤務先の高校が振替え休日のためお会いできたが、通常日中にアトリエでお目にかかることはできない。従って創作時間は夕食を取り所用を済ました後の数時間に限られていて、展覧会用の大作を仕上げるためにはかなりの日数を要するとのこと。しかも広島カープに対する思い入れが強く、カープが負けた日はモチベーションが高まらないため絵筆は持たれないという。
  奥中央に写真に納めた100号の絵が完成を待っていた。折しも所属されている新協美術展が開催されていて、「幾何学的に積み上げた緻密な絵」と地元紙に紹介されていたが、同じモチーフであった。数千の建物が一つずつ緻密に描き込まれた絵は、赤い夕日に染められた大都会の縮図のようでもあるが、建物の中には人々の喜怒哀楽が潜んでいて、ところどころに描かれた小さな輪がその叫びを象徴しているようだ。
  横壁に数々の習作が並べられていたが、私はベニア板に長い髪の女性の横顔と「幾何学的に積み上げた緻密な絵」の一部を組み合わせた絵に魅せられた。なぜか憧れと郷愁を感じさせてくれるものだった。

  先生からいろんなお話をお聞きするうちに「自然流」という印象が強く残った。だからこんなに丁寧で緻密な絵が描けるのではないかと・・・。世間一般の損得とか欲とか、そういうものには全く無縁で、肩肘張らず川辺の葦のような強さを持って社会や生徒さんと向き合っていらっしゃるように思えた。30年前の新協美術との出会いもそんな自然の成り行きなのだろう。自然流の生き方の中にこれから先どんな作品が生み出されるのか興味深い思いを持って面談を終えた。

<文・馬場宏二/写真・原敏昭>

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取材中の風景