アトリエ訪問第34回 高山 博子氏

求めたのは生命の喜び。人間の魂を描くこと。
新たなスタートを迎えて、愛を与える感動を目指す。

  大通りから一足はいった町並みは静か。涼しい微風が通るアトリエに、青いパンジャビで我々を迎え入れてくださった先生は、間近にせまった個展のためにずらりと壁面を飾っている絵の魂そのものに見える。絵から伝わる生命力から、第一印象は赤い作品が多いように感じたが、静謐な夜の中にも暖かさを感じる青や、人物の純粋な目の光を連想する衣の輝く色彩。そのハーモニーの中にいると、アトリエの空気はすぺての波長に満たされ、陽光の化生のようだった。

  遠く遣唐使や遣隋使が立ち寄った鞆の浦にあるご実家は、今は平野屋資料館として訪れることができるが、父の里 古い文化にふれ、芸術や文化に関心の深い父の影響により、幼少のときから絵筆をとり、以来、画業から離れることがなかったとのこと。その間、子育てをされ、美術教師もされ、インドを何度も訪ね、日本の仏像に出会うための旅をされたりと、エネルギッシュな生き方をされている。

  時につれてモチーフは鞆の浦の漁民から、群像やインドの民へと変遷しているが、一環して追い求められたのは生命の喜び。民の魂を描くこと。苦しみがあるからこそ昇華があり、生命の豊かさを味わうことができる。30年にわたるインドとの関わりで感じていたそうだ。

  昨年は梅雨のインド(大変な季節)を経験された後、11月にデリーで世界平和仏舎利塔の落慶法要にダライラマとともに参加され、散華の花を浴びながら、「自分はこれまでの人生充分に生かされてきた。これからは芸術を通してインドにお返しをし、世界平和につながる何かの役にたちたい」との思いを強くもたれた。

  その後、訪れられたシャンティニケタンのタゴール国際大学での出会いから、今年11月から客員教授として弁を執られる。銀座松屋の8月、そごうの10月と二つの個展を準備されながら、目下英語も勉強中とのこと。先生のあふれるエネルギーに、少々日常に疲れ気味の我々も、すっかり元気をいただいて帰ったのだった。

<文・泉尾祥子/写真・原敏昭>

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取材中の風景