■■言葉は只の伝達の道具ではなく人間の思考を支え人間の生き様をも映し出す■■
■ プロフィール
昭和24年 広島本川町に生まれる
昭和40年 故 村上三島(日本芸術院会員、文化勲章受章者)に師事
昭和63年 第20回日展初入選 以後18回入選
平成 4年 日本書芸院大賞受賞
平成11.12年 読売書法展読売新聞社賞受賞
広島そごうにて個展開催
平成17.18年 日本書芸院史邑賞受賞
・日展会友・日本書芸院評議員・読売書法会理事
・広島県美術振興会常任理事・元與社代表
■ 学ぶ場が在ること
10年前、21世紀の始まりと共に広島市の中心部で開いた書を広めるための拠点。そのころ杉岡先生の娘さんが描いた似顔絵がアトリエの窓にあり、通りからよく見える。
迷うことなく訪ねる事ができた。似顔絵からうかがえる少年のような目と親しみやすい笑顔。髪の長さは違えど、ビルの中に入って先生にお会いすると、その表情はいまでもそのまま。お話が楽しく、たぶんに目的の取材から話がそれて長い間おじゃましてしまった。
筆は5歳から持ち、今に続く生活サイクルのひとつであるといわれ、小さいころから書に親しむことを子どもたちに伝える必要があるそうだ。そのため、子どもたちが習いにきやすく、続けるのが容易な場所に教室をつくられたのだとおっしゃられた。
子どもたちには筆の使い方から入り、書写を沢山することをすすめる。学習する様子をみていると椅子を使ったときには落ち着かない子どもも、不思議なことに正座で書かせると、ぴたっと雑念が消えたかのように集中できるそうだ。姿勢は気の流れを変える。そういう時間を小さいころから体験することが最近の教育から失われつつある。それは、しっかりした人生を歩むきっかけを 子どもから奪っているようなものだそうだ。
■ 潮流と本質
杉岡先生のまわりには昭和24年生まれで頑張っている人が多いとのこと。世代の人数が多いと、そこに「場」が生まれ、様々なエネルギーが累積していく。お互いが切磋琢磨できる、よい同志に恵まれた世代だと思うとおっしゃられた。書風には時代の流れがある。一世代前の否定は亜流にならないための過程のひとつだ。先達の技術や姿勢をよく学びつつ自分独自の挑戦もしていく。細めの抒情性のある書体で書かれることが多いそうだ。それは、こころを筆に「ほわっ」とのせる書き方。見ている人が和やかな気分になる時を造る。書は書線の芸術である。いい線がかけるかどうか常に自分に問っている。
【 生きている実感を得られる日でありたいと思う 】
【 言葉は只の伝達の道具ではなく人間の思考を支え人間の生き様をも映し出す 】
先生の書かれる言葉には心の中から溢れてくる実感が込められている。それだけに、まろやかな書体には人柄がにじみでていて、見る人に寄り添ってくれるような共感を呼ぶのだとおもう。
■ 見方を育てる
子どもたちに教える時も、上手であるかどうかの観点だけでなく、よい書であるかどうかの見方も、最初から感じていってほしいと考えられているそうだ。実際、子どもたちが何点か書き終えた時、自分の書いたものの中で、どれが一番よいか選ばせる。次はなぜそれを選んだのか考えさせる。物の見方を育てていくことが重要なのだそうだ。字のなかに、その人の持っているものが出てくる。それが至極の書である。子どもたちの持っているものを引き出せるよう。そういう字が書けるようになってほしい。
<文/泉尾祥子 ・ 写真/原敏昭>