第70回アトリエ訪問 画家 沼本秀昭

プロフィール

1973年

広島県広島市生まれ

1996年

第4回公募「広島の美術」奨励賞受賞

1997年

「第61回 新制作展」入選、以後毎年出品

1998年

広島市立大学芸術学部油絵専攻卒業

2000年

同大学大学院芸術学研究科修了

2002年

「第66回 新制作展」新作家賞受賞(’03、’04同)

現在

新制作協会会員、鈴峯女子短期大学准教授

■アトリエとは何か

沼本先生のアトリエに伺ったのは初夏だが、その場所だけがアトリエではない。そこは、作品の構想を練り、仕上げる場所である。本当のアトリエは先生の手の中であり、同時に自然と流転のおこる全ての場所が含まれる。いま、広島発信のアートを牽引する作家を輩出している広島市立大学大学院の一期生。版画や油彩を学ばれるうちに、独自の表現を生み出した。砂、流木、自然木。それらが絵の具であり、更なるイメージを呼ぶ。自宅の裏山を散歩して山から木をひっぱってきたり、古家の解体で出てきた木をさらに野晒しにして時間を染ませる。

■創ることが生きること

トンボが飛ぶ空の下でチェンソーとサンダーの音が響く。板面に刃を立てたり寝かせたりして、強弱をつけた削りを入れる。一息つく頃には汗に爽やかな風を受ける。正に森の生活だ。外で制作するのが気持ちいいと感じる源流には、祖父との思い出があるとのことだ。幼い頃写生大会によく連れて行ってもらったり、兼業農家であったため、秋には藁で鳥を作ったりしたそうだ。「自然物を使って外で制作」はそこで育った、心地いいスタイルなのかもしれない。時の厚み、歳月を主題に抱え制作をしてきたとのこと。

長い間雨に晒されながらずっと存在し続ける土壁や石畳。余剰が消え去って残っている物だけの姿。その力強さが、存在の本質だと思う。在り続けているものが持つ風合いに惹かれるのだそうだ。

作品を制作している間、時の経過をあたかも追体験していると感じる。焼いたり、擦ったり、磨いたり、雨に濡らしたり、自然が行うことと、同じ作用をして仕上げていく。

■素直な心は楽しむことを知っている

鈴峯女子短期大学では保育学科の学生に図画工作を教えている。そこで再認識したのは、「作ることは楽しいこと」保育の現場で生まれたときから絵を描くのが嫌いな子どもは居ないと改めて感じたそうだ。表現することは本能なのだ。楽しく、気持ちよく描く。現在八千代の丘美術館で、月1回子ども絵画教室を、また自宅でも月に2回工作•絵画教室をしている。子どもたちに「風を感じて描こう」など、体感する作品作りを勧めている。

■変わらないこと、変えていくこと

2005年頃までの制作では、作品に合わせて製材したばかりの木に古びたような色をつけていたが、次第に偽物を作っているような気がしてきて、現在では自然にうまれた色の風合いを生かすようにしているとのことだ。古墳、石棺のイメージが内に有ったという作品は、半立体で、凸凹した形状が作る陰影も作品の一部だという。最近は半立体の造形と平行しつつ平面性にこだわった制作にも取り組んでいるとのこと。これまでの作品は、物質そのもののインパクトが強い。それに頼らないものを作ってみたくなったそうだ。凹凸のない表現として版画を始めたのだ。大きな板に削りを入れる過程など制作風景は今までと同じであるが、作品には立体の厚みはない。刷り上がったのは、時の跡を表し、人の内宇宙を込めたモノトーンの人物像。先生の作品には寂静を感じる。半立体でも版画でも、制作過程の賑やかな音が吸い込まれ、静かな佇まい。時の経過を含んだ静けさだ。どこか、数百年経って柔和なラインも猛々しさも材の内部に潜ませた仏像を思わせるマテリアル。

■アートの根本と辺際

伺った時には七夕展の用意をされていて、その後の8月は制作に打ち込まれ、秋から冬の発表に備えるとのことだった。秋から京都、名古屋、広島と展開される新制作絵画展。12月には才田博之氏との二人展が三良坂平和美術館で開かれる。<アクティブ・イン・ミラサカ 2013 Part2 会期:2013年12月22日(日)~>才田氏と沼本先生は、かつて「広島の美術」展で、新進の作家どうしとして出逢った。

意気投合し、お互いを高めあう存在として時々活動を共にする。そしてまた、それぞれ自分と向き合う。

そうした動きがまた、若い世代の指標となっていく。拡がっていく渦には中心があり、求心と拡散は同時に始まり、芸術の「場」は作家たちによって脈動する。

沼本先生のようなアーチストが呼吸しているところ。そこが広島なのは嬉しいと思った。

<文/栗田祥子・写真/原敏昭>

 

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取材中の風景