第69回アトリエ訪問   画家 瀬古正勝

プロフィール

元新協美術協会委員・広島YMCAアートスクール講師

海外芸術交流協会創設委員

現在

日本芸術家連盟理事

広島平和美術協会 会長

■制作中の2枚の絵

広島西区の閑静な住宅街の中にあるアトリエを訪問した。広い部屋にイーゼルが二架立てられて、一つには原爆ドームが描かれていた。大作である。氏のライフワーク「平和美術展」に向けて描いている作品。もう片方には、6号キャンバスに厳島神社の大回廊から、大鳥居を望む風景が描かれていた。第31回京都新聞チャリティー展の為に製作中で、収益は福祉事業に使用される。

どちらも広島の象徴といえる風景だ。

■退屈は敵

絵を志したのは18、19頃のことだという。新延輝雄氏福井芳郎氏に師事を受け、20代からは公募団体新協美術協会に所属。その後日本版画協会にも出品。韓国・フランス・モナコへ出品、個展も十数度行い精力的に活動を続けてこられた。

現在氏は71歳、画業は50年を越すことになる。70才台には見えない溌溂としたご様子で、「いつになっても上手くならない」と笑顔でお話になった。現在は公募団体を離れ活動されている。「自分の好きなように描けているから、面白いよね」と、これまでの作品や公募展に出品していた当時の資料や作品写真を見せていただいた。実験的な作品も多く取り組んでいる。“退屈は敵”とおっしゃられた。

■浜崎左髪子との出会いと広島の美術。

書棚から大きなハードカバーの日本画の作品集を取り出し、見せてくださった。前衛的な作風で、現代表現かとも思ったが、日本画家浜崎左髪子の作品集であった。私は初めて聞く名前であったが、平安堂梅坪の包装紙が掲載されていて左髪子のデザインということを知り、とたんに身近に感じた。浜崎氏は面倒見のいいおひとがらで、よくご馳走になったと話された。浜崎邸には当時多くの若い画家が集まり、交流していたという。

青年アンデパンダンでは当団体理事長の三原捷宏氏や現代美術家殿敷侃氏とも作品を並べていた。会派や流派の垣根を越えて、若いアーティスト達が戦後広島のアートを盛り上げようと切磋琢磨していたのだろう。

■丁寧な仕事

1972年から、広島県警の機関紙「いずみ」の表紙とカットを担当する。表紙の多くは木版画が飾っている。冊子を開くとページの半分を占める象徴的なカットから、レイアウトの為の細かいカットまで、丁寧な仕事の版画や素描が紙面を彩っていた。いずみは月刊誌、提出する絵やカットも多く毎月の締め切りもあり、たいへんな仕事だったのではないか?と伺うと「好きだから、ぜんぜん苦にならなかった」と笑顔で答えられた。

氏は13年間、写植の仕事に携わってこられた。記念にとってあるという文字盤を見せていただいたフォントごとにこれを変えるのだそうだ。繊細な作業で感覚とセンスが必要だ。

■平和美術展

今年で59回を迎える平和美術展。現在は会長を務めている。作品の種類は絵画を初め工芸、デザイン、生け花と見ごたえのある展覧会になっている。開催側は展示やイベントの調整に苦心されているとのこぼれ話もいただいた。アンデパンダンの形式をとるこの展覧会は、毎年、反核や平和の思いを込めた多くの作品が展示される。現在では日本各地及び台湾韓国などからも作品が届くそうだ。

被爆地広島で、このアンデパンダン形式の展覧会を続けることの重要性や意味の大きさを感じさせられる。冒頭の原爆ドームの作品は、見る人の平和への思いを強く心に残してくれるだろう。

<文/山口操、中木風子・写真/原敏昭>

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取材中の風景