第74回アトリエ訪問 画家 小泉祥二郎

プロフィール

1946年

広島市に生まれる

1969年

広島大学美術科卒業

1974年

県美展初入選 以後連続入選

1975年

東光展初出品 以後連続入選

1976年

東光展 東光賞受賞

1977年

東光会会友推挙 日洋展初入選

1980年

東光会会員推挙 日展初入選

1981年

新樹会結成 以降毎年開催

1984年

第50回東光展 広島展RCC賞受賞

1989年

日展入選(’93 ‘97 ‘98 ‘01)

1994年

第60回東光展 広島展中国文化財団賞受賞

1999年

第65回東光展 広島展広島県教育委員会賞受賞

2013年

第79回東光展 損保ジャパン美術財団賞受賞

現在

東光会会員

広島日展会会員

■ユーモアと明日から禁煙
暖かい日差しの一月中旬、小泉祥二郎氏のアトリエを訪問した。
ご自宅の一室をアトリエとして使用されている。ちょうど80回東光会記念会に向けて大作の制作中であった。筆を持った姿のお写真をお願いすると、冗談を交えながら気持ちよくお応えいただいた。ポートレート撮影は、パレットの上ですりすりと硬めの筆で色の調整をし、実際に描きながら行われた。氏のアトリエで筆よりも目を引くのはパレットナイフだ。大きなもの、平たいもの、細いものなど、たくさんの種類のパレットナイフをお持ちだ。作品を描くとき、筆ももちろん使用するが、それよりもパレットナイフで絵の具を乗せることが多いそうだ。撮影のために持ってもらった筆だが、なかなか止まらない。画面にまたすりすりと慎重に絵の具を乗せていく。作業は大詰めに入っているとのことだ。
アトリエのデスクに「明日から禁煙」という表札のような飾りが目立った。(先生禁煙に挑戦されているのかな?)と思った隣に立派な灰皿が置かれている。疑問に思っていると、「いいでしょう「明日から禁煙」。明日になったら、また「明日から禁煙」。」にっこりのお顔でおっしゃった。ユーモアは氏の中だけでなく、アトリエにもあふれている。

■忘れられそうな風景に寄せて
現在描かれている作品は、2003年12月に廃線となったJR可部線安芸飯室駅の駅舎がモチーフになっている。「易者じゃないよ」とその間もジョークを交え、和やかに取材が続く。氏の作品は実際の取材を元に、絵に起こしていくそうだ。制作中の作品の中で自然に見えているプラットホームに続くスロープ、は実際よりも傾斜がきつく描かれている。「こんなにきつい坂だったら高齢になったら厳しいよ」と冗談混じりに話された。
脚光を浴びるような風景は好まない、忘れられそうな風景の方が好きだという。だからドイツのアウシュビッツへ行ってみたいともおっしゃった。当HPの小泉氏のギャラリーを見れば、過去の面影を残しながら存在する風景をモチーフに選んできたことが伺える。河岸の集落シリーズにある風景は、今はもう現存しないそうだ。忘れられそうな風景だった現実世界が、今では氏の作品の中でだけ物語のように存在している

■画業と盟友「野口稔」氏
氏と同じ「東光会」で活躍される「野口稔」氏は大学時代の同窓だそうだ。氏が絵に本格的に打ち込み始めたのは、林先生の影響もあるが、野口稔氏の存在による所が大きいともお話になった。大学を卒業後、すぐに教員になった氏には画業のプロフィールに空白の時期がある。美術教師としての勤めに加え、最初の赴任校ではいろいろな役割を持って教壇に立つこともあったそうだ。また当時の教育現場が同和教育という新しい場面に直面し、教育者として学びや研究に取り組み忙しく過ごす事となる。「久しぶりに会った野口が、すごくいい絵を描いててさ」と当時を振り返える。そこから自分もと東光会への挑戦がはじまる。当時、勤務していた高校の校長も芸術分野に理解があり、それも後押しになったという。東光会41回が初出品で入選、その翌年42回で東光賞を受賞、以降連続入選が続いている。長く広島の東光会広島支部事務局長を勤められ、今は事務局のサポートをされている。伝統のある会で、会の運営の様々をよく知られている方が氏のように気さくに心砕かれ、お手伝いくださるのはとても心強いことだろう。余談だが、東光会広島の皆様が集まられると家族のような雰囲気に見受けられ、とても素敵だと思った。

■教育者としての一面
お伺いしたこの日の午後は、ちょうど週に2回指導するアトリエ・サンクチュアリの教室があり、アトリエ内の道具の中から生徒さんのためにいくつか調えていた途中であった。「人に教えるから、自分もいい絵を描かないと」と飄々とお話になる中に、画家としての強い思いが感じられた。生徒さんには「こうしたほうがいいんじゃないかな」というひとつのアドバイスにしても、押し付けにならないようにと、そのひと一人のために慎重に選んで声を掛けられていることがお話から伺える。言葉でビジョンを示すことは難しいが、教育者として勤められてきた氏には「教えること」についてたくさん心を砕いてこられたのだと思う。美術や音楽といった教科の削減が進む昨今だが、「描いて、唄って、人間的らしい基本的なことが大事」と明るく話す氏の言葉に「人間を教育してきた」という”教師”としての大きな一面を感じられた。

■東光会80回記念
今年(2014年)は東光会80回記年にあたる。懇親会など、イベントも多くあるそうだ。場所を変えて今後の氏の活動についてお伺いすると、体の続く限り描いていくとのお言葉をいただいた。タバコがおいしい体が続く限りは大丈夫と、息子さんから贈られた煙草盆を模した灰皿でタバコを吸いながら楽しいお話しは続いた。

<文/中木風子・写真/原敏昭>

>>こちらより先生のページへ移動できます。

取材中の風景