第75回アトリエ訪問 画家 藤本泰男

プロフィール

山県郡北広島町川戸 生まれ 2才で芸北へ
昭和45年から一水会へ出品
2013年安芸高田市立八千代の丘美術館第12期入館作家

個展   駅前ステーションギャラリー

作品展   ガレリア・レイノ、 カモメばぁばぁ、ギャラリー森、ギャラリーヨコタ

現在   春陽会会友





広島市内では先日降った雪が姿を消した朝早く、藤本泰男先生のアトリエにお邪魔した。

制作中の大作の絵にまず圧倒された。先生は芸北のご出身で新庄学園のOB、当時はあまり絵を教えてもらった記憶がないのだが、と言われながらも新庄学園出身の絵描きの方は多いような気がする。

昭和31年頃、今の東急ハンズの裏に文映と云う映画館があり、そこで上映看板を制作されていた。映画館が下火になった27歳の頃に東京のイベント会社へ、お化け屋敷や菊人形展等の背景の制作に関わる。デパートのウインドウなどへ季節に合う様々なものを描かれ、仕事としてプロの描き手として腕を磨かれた、これが絵を描く一番のきっかけになったと思うと当時を懐かしく振り返られた。

30歳を過ぎた頃広島の呉へ帰って来られる、ここで大きな出会いと転機を迎える、久保田辰男先生との出会いである。久保田先生の個展を見て、「こんな田舎の風景が絵になるんだ」と故郷芸北の風景と重なり絵画を描くことになる。久保田辰男先生に師事、一水会にも挑戦・活躍された、当時はモチーフを選ぶのに久保田先生と同じものにならないようにといつも考えていたそうだ。人物(市場の競り人)を5、6年描いた。グループ路展にも当初から参加されている。

「飾らず、控え目な久保田先生が大好きなんですよ」と、結婚式にも出席され、「もう44、5年のお付き合いになります奥様よりも古いかもしれません」とても楽しそうに話される姿はとてもいい間柄なのだと羨ましく思えた。

実は現在、春陽会に所属されている、ある時期一水会を辞されて10年ぐらい公募展から離れていた。公民館で絵手紙やはがき絵を教えるようになりまた活躍の場として公募展に応募された。初入選は魚と家族を描いた絵。その勉強会で(空を飛ぶ魚がいるか?)と酷評で、描く思いが一致しないと見方も捉え方も違ってくると感じたそうだ、それぞれの思いがある作品を批評するのはとても難しい、と。

その空飛ぶ魚はアマゴである。アトリエに今年春陽展に出品される作品がある、キラキラした目をしたアマゴが御神木と一緒に描かれている。子供の頃を過ごした芸北では魚釣りはハヤにドロバエにアマゴ、アマゴには赤い斑点がありとてもきれいな魚だ、風景の中にアマゴが描かれるようになる。田舎に帰ると川がきれいで雪景色がきれいでこんなにきれいだっただろうか、子どもの頃には思わなかったその思いが作品の中に表われてくる。麦わら帽子にトンボ、家族に懐かしい風景、富山の薬売りが持ってくる紙風船、とても楽しみだったとか三つしかくれないんだと懐かしがられる。紙風船と泳ぐアマゴはまるで遊んでいるように見える。アマゴを通して自分が見て感じている、また思い出しているのかも知れない、アマゴは先生ご自身の姿なのだろう。8号ぐらいの作品、雪の中で木立が周りの雪を丸く融かしているそこに温もりがあるように、そして幻想的に泳ぐアマゴ、雪解け水が沁みわたる寒さ厳しい故郷を思い出させる絵だ。

窓辺にアマゴが美味しそうな干物になっていた、お酒の肴ですか? イエイエ、モチーフですね?

広島では大田川のアユも有名で美味しいですが、先生はアマゴに失礼だからアユは食べないのだと徹底されている。「アマゴを描き始めてもう10年超えたでしょうか、アマゴばかり描いていてもいいのかなと思うのですよ、誰も描かないしおもしろいかな、何より気持ちがいいんです」と

難しいことは何もおっしゃらない、積み重ねてこられて到達した幸せな姿だと感じ入っていた。

奥様に美味しいコーヒーをいただき世間話に冗談を交えて楽しいひと時を終える。

3月半ばまで八千代の丘美術館に入館されている、4月には路展が県立美術館で開かれる、春はすぐそこまで来ている次に先生のアマゴに会えるのが楽しみになった。

<文・山口操/写真・原敏昭>

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取材中の風景