夏休み前の暑い日、広島市立大学の芸術学部教授室をお訪ねした。この学部の学生達は贅沢な設備と選り抜きの教授陣に取り囲まれ、毎日芸術三昧でいられる資格を得た人たちなのなだなと年甲斐もなく羨ましさを感じていた。
押しかける側からすれば、普段の状態で十分なのに、1週間がかりで整理されたという。そのとき肩を痛められ学生達の応援を求められたそうで、大そう心苦しい思いがした。
吉井教授は、広島出身の父君が転勤されていた岡山市で生まれ小学生時代から広島人になられている。中学・高校生時代に芸術の先生から特別に目をかけられたそうで、設計技師志望を変更して当時合格率がなんと50倍を越えていた東京藝大に進学されている。難関を潜り抜ける前の3年間の浪人生活が根気を育み才能を開花させる下地になった模様で、そのときの人生を左右する良き出会いが支えになったようである。
大学卒業後、都の中学校の非常勤講師、新設の都立高校から、都立芸術高校の教師を歴任された後、現在の市立大学に招かれている。もし小説家またはシナリオライターがお話を聞いたら幾つもの面白いドラマになりそうな出会いや教え子との葛藤を経験されたようだ。そうしたなかで画学生の心を失わず取り組んだ制作のテーマでは、人物から自然のかたちや営みへと、オリジナリティを持って表現するための試行錯誤を重ねられている。
「(自分の)絵は単体で切り取り完結するものでなくエンドレスに続いている自然界の模様をつなぎ合わせている。かつての日本の巻物で描かれていたように、人生や自然界の場面や動きをつなげていくようなもの。」「自然界を見ていると丸・三角・四角形などでかたち作られているが五角形が最も面白い。」「生活観では和洋折衷を考える。油絵は西洋画であるものの、自分は和の世界にあって、これを抽象で表し色彩で整理したほうがはっきりする。」「自分にとっては知的な遊びや動きを意識するとどんなものが見えてくるか、純粋に自分が気に入るかどうかを見せていきたい。」など独自の美を生み出す作者ならではの奥深いエッセンスをお聞きした。
さらに、昨年(新しくできた)国立新美術館に出品する際、個人の持分はこれまでになく4mということなので、立ったまま描ける限界の高さにチャレンジし、左右に継ぎ足す絵を加えたものを創ってみたが、そうすることにより学生時代の絵に回帰したような気がするとおっしゃって、その時代の絵を見せていただいた。なるほど共通項はあるが違うような気もする。
抽象画の表現内容を作者にあれこれ問えることは日常にはなく素晴らしいことであるが、観るものがその絵から百人百様にいろんなシチュエーションを思い巡らせることもまた自分の世界を深く広く膨らませることができるものになるというのが私の結論であった。
<文・馬場宏二/写真・原敏昭>