アトリエ訪問第28回 住本 弥綺子氏

日本画の人物を中心に、今を生きる自分の心を写した作品、表現を目指しています。

  アトリエ訪問記も足掛け3年になる。記念すべき平成二十年一月度は女流日本画家の住本弥綺子氏である。いつもの事であるが、アトリエで大きな作品を目にして、直に作家の情熱や作品に纏わるお話を観聞きすることで、展覧会場で味わえない絵の迫力感じることができる。これが粗末な文章でもこのようなアトリエ訪問記を書き綴るエネルギーの根源となっている。

  住本先生は花や風景画もさることながら「人」が好きだといわれる。舞妓や女性の人物画が多いが、人生をしっかり受け止めた女性に出会うと、何とかその方の人間性を引き出したい意欲が湧いてきて、筆が自然に活きてくるそうだ。
アトリエのアチコチに美術書でなく浅田次郎の「中原の虹」など小説や歴史書が沢山並んでいたが、描画の合間に、時を惜しんで小説を読まれているとのこと。おそらく、先生ご自身がイメージした人生物語に登場している主人公や脇役の姿に、心模様を重ねて描きだされているのかもしれないと、勝手な想像を巡らせてみた。

  橋本町のビルの1階にあるアトリエは、先生にとっては仕事場であり、読書部屋であり生活から離れたレストルームでもある。太陽と喧嘩すると色が負けて強く塗りすぎてしまうために、そこは完全に光が遮断されている。昼夜の区別がつかないので、ふと気づくと14時間ブッ通しで描き続けていたこともあったそうだ。少女時代は日舞の道を目指されていたが、日舞の練習では「1時間が限界」ということとうらはらに、絵は時間を忘れさせるものであるらしい。この日舞の修行が3年間京都に通い描き続けられた舞妓の絵や座位や大道具、衣装、指物、振袖をどのように扱うかなどに生かされている。取材のために訪れたスペインで、ジプシーの踊り子の、どこか遠い世界を見ているような眼差しに魅せられ描き続けられたそうだ。

  「絵の道は、子供が賽の河原で塔を作ろうと石をいつまでも積み上げるようなものだが、もし絵の世界と出会えていなければ何をしていただろうか・・・、日舞と同様に、こうやって好きな道を続けられるのはすべて母親のおかげ」という言葉が印象的であった。

<文・馬場宏二/写真・原敏昭>

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取材中の風景