2014/09/16

第78回アトリエ訪問 書家 船橋玉苑

プロフィール

‘88
第一回不二現代書展準大賞受賞
‘89
第38回書道学会展文部大臣賞受賞
‘91
第4回不二現代書展審査会員推挙賞
第41回書道学会展無鑑査特別賞
‘98
第48回書道学会展審査会員推挙
‘05
第55回書道学会展 尾上紫舟賞 受賞
現在
(財)日本書道教育学会総務
文部科学省社会通信教育広島県講師
文部科学省認定ペン書道検定広島県幹事・審査員
不二現代書展審査会員
(社)養和書道院副理事長
広島県書道教育協会書道展副審査委員長
中国地区書き初め大会審査員
読売新聞紙上広島展審査員
広島天満書道祭副審査委員長
文部科学省検定教科書(高校書道)編集・執筆
書道グループ「凡」主宰

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2014/06/04

第77回アトリエ訪問 画家 根木達展

プロフィール
1943年
広島市生まれ
1972年
第46回 国画会展入選 以後76年まで5年連続入選
1999年
第51回 広島県美術展 優秀賞受賞第6回 公募「広島の美術」佳作賞受賞
2000年
第15回 国民文化祭・ヒロシマ2000美術展 佳作賞
2001年
自由美術展 初出品入選 以後毎回出品
2003年
第8回 公募「広島の美術」佳作賞受賞
2004年
自由美術協会 会員推挙
2007年
さかいでARTグランプリ2007 佳作賞
現在自由美術協会会員
 
 
 
美しく浮き出た色彩は濃密な闇から生まれた光子のきらめき。生と死をみつめつづけた画家に降りてきた脈動する宇宙。
■時代の息吹
訪れた春に草木がほころぶころ、根木氏のアトリエに伺った。
ご自宅とアトリエの前庭から一段低い田畑とその向こうに、ふわっと起き上がる里山。新緑の柔らかい葉を撫でて風が渡っていくのが見える。1965年ごろから絵を描かれ始めたそうだ。特定の師事はされず独学だ。数年後の国鉄美術展では国鉄美術会賞と取られるなど早くから力をつけ戦後のアートシーンとして伝説の広島青年アンデパンダン展で幅広いアーチストと交流。ともにひとつの時代を作った。
その頃のメンバーがとても楽しく、いまでも印象深いとうかがった。国鉄の宿舎に入っていた時期、大きな絵が描ける環境がなく、国展に写真の部門で参加したという経緯もあり、現在の抽象表現にも写実の経験が生きている。あるときから生と死をみつめつづけ、テーマとされているとのこと。
画業の展開の仕方など、自らデータを蓄積されたファイルや、画集に入っている絵を見せていただきながらお話を伺った。現代日本の抽象画について、他の作家の取り組み方についても話してくださった。
■光を弾き出す
油彩画のアトリエではあるけれども工房といったほうがしっくりくる。もとはアトリエではなく農具を置く倉庫として作られたそうだ。現在は、偶然キャンバスのサイズにぴったりに仕上がった棚を重宝されている。自らつくられた大きなキャンバス台など大工仕事のほか、電気工事1種の資格を生かした造作もこなす。描くために握るのは絵筆のほかに圧送ガン。大きい25リットルコンプレッサーの音が響く現場だ。吹き付ける圧縮された空気によって飛散していく濃密な層。その瞬間になめらかで細かいグラデーションが形づくられていく。その集中力。デジタルではないのに光を加算する描法だ。細胞にみえたり、無数の群集が見えたり、うごめいていると錯視するほどのなめかしい細密なグラデーション。線形に増大する可積分系の軌道と、指数的に増大するカオス系の軌道の中庸を行く文様がうきだし、宇宙の構造が実に柔らかく相転移し合っている感じが神秘的に描き出されていく。
■■生と死のはざまが紡ぐ
通常、自然界の時間発展を記述するには、力学系が用いられる。
それは写生で得られるリアルだ。生命はそれだけで表現できるものではない。形状がカオスの色を帯びるのは氏の命の妙を覗く行為に、世界が応えてくれているようだ。コンプレッサーで圧縮された細い風は、太極を解いた奔流となって画布に光をふきこんでいく。生 (き)シリーズは命の波動を多次元から平面に引き寄せていく行為。美しく浮き出た色彩は濃密な闇から生まれた光子のきらめきだ。
始原の光景があらゆるパターンで紡ぎだされていくようだった。

<文/栗田祥子・写真/原敏昭>

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2014/04/01

第76回アトリエ訪問 画家 高松良幸

プロフィール

1950年
高知県に生まれ
1986年
第71回二科展初入選 以降連続出品
1988年
第19回広島勤労者美術展 奨励賞
1996年
第81回二科展 特選
1998年
第83回二科展 会友推挙
2003年
ギャラリーブラックにて個展
2005年
第90回二科展 会友賞
2006年
ギャラリーブラックにて個展
2007年
ネッツギャラリーBOX個展
2008年
ギャラリーブラックにて個展
2010年
ギャラリーブラックにて個展
2013年
八千代の丘美術館 第12期展示
2013年
第3回青木繁記念大賞西日本美術展 入選

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2014/03/03

第75回アトリエ訪問 画家 藤本泰男

プロフィール
山県郡北広島町川戸 生まれ 2才で芸北へ
昭和45年から一水会へ出品
2013年安芸高田市立八千代の丘美術館第12期入館作家
個展   駅前ステーションギャラリー
作品展   ガレリア・レイノ、 カモメばぁばぁ、ギャラリー森、ギャラリーヨコタ
現在   春陽会会友

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2014/02/03

第74回アトリエ訪問 画家 小泉祥二郎

プロフィール
1946年
広島市に生まれる
1969年
広島大学美術科卒業
1974年
県美展初入選 以後連続入選
1975年
東光展初出品 以後連続入選
1976年
東光展 東光賞受賞
1977年
東光会会友推挙 日洋展初入選
1980年
東光会会員推挙 日展初入選
1981年
新樹会結成 以降毎年開催
1984年
第50回東光展 広島展RCC賞受賞
1989年
日展入選(’93 ‘97 ‘98 ‘01)
1994年
第60回東光展 広島展中国文化財団賞受賞
1999年
第65回東光展 広島展広島県教育委員会賞受賞
2013年
第79回東光展 損保ジャパン美術財団賞受賞
現在
東光会会員
広島日展会会員

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2013/12/28

第73回アトリエ訪問 画家 迫田嘉弘

 
 
遠くの山の頂が白く見える。師走のつめたい風と澄んだ太陽の光の中、迫田氏のアトリエを訪問した。
 
プロフィール

1944年
広島県呉市生まれ

1966年
光風会展初入選・広島展受賞(以後6回)

1968年
日展初入選(以後30回)

1969年
改組第1回日展入選

1971年
個展<’73、’76、’79、’82、’86、’07、’10年>
1975年
光風会展「光風賞」受賞
1986年
県美展審査員<’92、’95>
1989年
安井賞展受賞
1992年
中国新聞創刊100周年広島の画家100人展
2002年
光風会展「田村一男記念賞」
2007年
八千代の丘美術館入館・広島と大邱会展
2007年
八千代の丘美術館入館・広島と大邱会展
2010年
光風会展「辻 永記念賞」受賞 個展(福屋八丁掘本店美術画廊)
2011年
光風会審査員・評議員
現在
光風会評議員・日展会友・光風会広島支部副代表 中国新聞情報文化センター講師・GROUPアルサコ主宰

 
 
 

■偉大な背中
 お通しいただいた玄関の正面に、丁寧な仕事の美しい椅子が一脚、オブジェのように置いてあった。岡崎勇次先生の形見としていただいたものだそうだ。岡崎勇次先生は因島出身の、光風会の広島支部長を勤められた広島を代表する洋画家だ。「1991年に逝去される前年まで、厳寒の北海道に毎年スケッチに出かけられていて、病の中でも厳しい自然のなかに身を置き、作品を制作し続けてこられた方だった」と迫田氏が当時の岡崎先生のご様子を語った。何気なく語られたその言葉に、氏にとっていかに大切な人であったか思いがこめられているように感じた。他人に思いやりがあり、自分に厳しい偉大な師匠の背中が見えるようである。「金の卵かと思ったら中は泥だった」岡崎勇次先生にそう評されてね、と穏やかな笑顔で氏がお話になった。文面だけ見ればなんとも辛辣な表現であるけれど、親しい関係だからこそ出るブラックユーモアだろう。学生であった1966年に初めて光風会展に出品した作品が広島市長賞を獲る。当時の氏の自室から見えた景色を描いた作品で、呉の海岸と港、瀬戸内の風情が描かれた素敵な作品であった。その作品を見た岡崎先生の方から氏に会いたいと連絡があった。金の卵かと思ったら中は泥だったとは、才能のある氏に対して岡崎先生が戒めを込めて評したのではないかと推測する。広島の若い作家を育ててきた岡崎先生の言葉にはそのままの語彙とは関係ない霊的なものを思わせる。その後、氏は一度目の挑戦で日展に入選する。以降30回の入選を果たし、今もその挑戦は続いている。2階のアトリエに通されると、一番高いところで岡崎先生の写真が飾られていた。岡崎先生の奥様が選らばれた優しいお顔の一枚と作品の前での一枚。ご逝去されて22年の月日が経っているが、絆はなくならないのだと教えていただいた。
■6畳からのスタート
 独身の時代は6畳のスペースにキャンバスを立てて、布団は押入れにひいていたそうだ。床そのものが絵の具で汚れないよう新聞紙をひいて制作し、絵の具が落ちたところにはさらに新聞紙を重ねて制作を続けたので、新聞紙のカーペットができていたという。今は天井の高い二十畳の空間。壁面はどのサイズの絵でもかけられる機能的なアトリエが氏の制作の拠点だ。氏もいろいろな作家や仲間のアトリエを見て今のアトリエになったと教えてくださった。公募展に挑戦しているものならば誰しもが頭を悩ませる大判絵画の搬入出は、氏のアトリエならではの工夫がある。床の一部を切り取り建屋の外、横の通路に直接絵を上げ下ろしできるようになっているのだ。床下収納にも見えるそこを開けていただくと、なるほど外であった。床の穴からキャンバスを吊るして外へ出す仕組みにとても驚いた。
■運命の出会い
 アトリエの扉に写真が貼られている。カレンダーでたまたま出会った風景が素晴らしくてとっておいた一枚。写真の部分だけを切り取り飾って、奥様といつかは行ってみたい、と話しておられたそうだ。結局その景色がどこなのかわからないまま、その後10日あまりヨーロッパへ旅行をしていた時に、偶然、写真そのままの景色に出会う。イタリアにて音楽の勉強をしている知り合いのお嬢さんに「海のある所に行きたい」と伝えると、そこに連れて行ってくれたそうだ。「そらびっくりしましたよ」氏の口ぶりに、聞いていてもその当時の感激が伝わってくる。運命や偶然が重なる、ドラマのようなことが起こったのだ。そのあと直ぐ奥様に電話をして感動を伝えたそうだ。険しい海岸に色とりどりの家屋が並ぶ景観。そこは北イタリアのチンクエ・テッレの景色だとわかり、周辺の五つの村が似た景色をしているからスケッチや記録をとって回った。 それまでは山陰の重厚な海や空を描いていたところから、鮮やかで眩しいイタリアの景観への挑戦が始まり、今日の氏の作品へと続いている。その後会派を越えた仲間と3年おきくらいにスケッチや取材で海外をまわられたそうだ。ヨーロッパ。中央アジア、さまざまな景色が、氏に描かれるのを待っている。
■人の繋がりと感謝の心
 氏が主催しているグループ「アルサコ」には、それぞれの個性を大切に楽しみながら描くことを実践している仲間が集っている。フランス語かイタリア語のような素敵な語感の言葉だったので意味を先生に伺うと、「アルパークの迫田教室でアルサコ!」と茶目っ気たっぷりに教えていただいた。氏の知人がつけてくれたそうだが、素敵なネーミングだ。今では美鈴が丘公民館など、グループの輪も広がっている。仲間でモチーフを持ち寄り、一緒に学んでいくのはまた楽しい絵の一面だという。「感謝の気持ちを忘れてはいけない」。師、友人、仲間、家族、同僚、さまざまな人の支えがあって作品を描き続ける事ができているとお話しになった。 2014年、光風会が100回の記念展を迎える。評議員も勤める氏にとっても大きな仕事だ。「描きたいものはたくさんある、自分のペースでやっていく」というお言葉の後に、「今からエンジンを噴かして頑張るとき」と力強い一言をいただいた。

<文/中木風子・写真/原敏昭>

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2013/12/02

第72回アトリエ訪問 画家 岡本礼子

プロフィール

2005年
スペイン美術賞展優秀賞
05~09年
フランスエコール ポール・アンビーユ氏に師事
2006年
広島二科賞
2008年
広島二科奨励賞武蔵野美術大学造形学部卒業
2010年
宮島町屋通り 灯篭わらべ唄 4月20日まで
2011年
第96回二科展 特選受賞
現在
二科会同人 JIAS美術家協会会員
子育てサポートアトリエREIレイLLC 代表

猛暑の夏から秋を感じることなく寒い11月を迎え一段と冷え込んだ朝、岡本先生のアトリエにお邪魔した。入口のガラス戸に生徒さん達が描いたお花の絵が楽しそうに陽射しを浴びていた。
いつでもだれが来ても愛想よくお迎えしてくれる柴犬のトッポちゃんに大歓迎されてのスタート。
アトリエはお母様の編み物教室だったところを改装。天井を高くとり、大作を描くのに十分な距離をとれる広く長い空間、壁は漆喰、床は自然のままの杉の板、自然の温もりを感じるアトリエはとても心地よく先生のお人柄もあり、話はどんどん熱を帯びていく。
ここでは、子供と大人の教室をされている、特に大人の生徒さんは、自由気ままに通われて絵を描いている、また友人の方も集まっては談笑されて、深夜に及ぶ事もたびたびだとか、居心地の良いスペースだ。
先生は、現在二科会で活躍されている、20代の頃から連続入選、第96回二科展では特選を受賞された。天職だと思っていた保育士の仕事を30年務め、一大決心をして退職。「絵を仕事にしよう」とフランスエコールでポール・アンビーユ氏に師事、2005年から5年間の絵画修業を経て色彩や表現に一段と磨きをかけての特選受賞であった。アンビーユ氏から学ぶうち、「自分の中の自分を信じろ」という言葉をいただいた、(正しいかはわからないけれども自分自身を大事にしろ)と。心にずっしりと勇気づけられる言葉だ。
退職は公務員時代と違って沢山の物を生み出した、自分の時間はもちろんのこと、幼児教育にも一段と熱心に取り組むようになった。2008年に保育園「アトリエREIレイこども舎」を開園、今年13年には園舎を新築し、現在6カ月の乳児から6歳までの幼児が入園している。通常の保育では限りのある造形や遊びの中から自由な発想のできる環境に力を注がれている。先生がモデルとしている教育がここにあるのですと見せていただいた本が「レッジョ・エミリアからのおくりもの」イタリアの小都市レッジョ・エミリア市の乳幼児教育、子供を市民の真ん中にした教育をもとにされている。この教育実践者であるローリス・マラグッツィ氏の「冗談じゃない、百のものはここにある」という詩を読んだ、もう一度子供に戻りたいな、と思ってしまった。
先生は大学などへ講座を持たれている。これからの教育を担っていく若者たちへ現場から学んできたことを含めメッセージを送っている。一緒に仕事をされてきた保育士の方たちと今も教育の在り方について前向きに語りあうそうだ、創造性・想像性を大切に自由なものを生み出していく子供たちの未来を見据えて。熱心に語られる姿は生き生きとして止めどなく話が進んでいく。
「ところで先生少し作品の話を頂けませんか」と熱の入っているところで絵を見せていただく、
先生の絵は対象を見つめ突きつめていったもの、桜の花・木々の緑・火の鳥・波やうずまき等を抽象的なイメージに置き換えて線で表現されている。子どもたちが粘土遊びをするときの一生懸命ギュッと握る気持ちと同じように、線に力と気持ちを込めて表現する。線を大事にするようになって自分の生き方も大事にするようになったと、現在の対象はバラ、平和と愛の象徴、特選の作品もバラである。青い大きなバラの絵、青なのに少しも冷たさを感じないおおらかで大胆にそして包み込まれるような温かさも感じる。先生そのままが作品の中に在るようだ。
「時間と仕事に追われていた頃と比べて変わった事は沢山あるけれど、やりたい事と自由な時間がたっぷりある、やりたい事が自分を活かして行く「絵で生きていこう」と決めた時から、すべては後から付いてくる」と思い切りのいい決断力と行動力、そして着実にやりたい事を進めていく先生は、とても若々しく溌溂としている。昨日出雲に行かれたとかで出雲大社のパワーをいっぱい吸収されたようだ、しかし先生自身が一つのパワースポットのような気がしてならない。元気と力を与えてもらった、とても有意義なアトリエ訪問であった。

<文/山口操・写真/原敏昭>

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2013/11/01

第71回アトリエ訪問 書家 河原翠月

 
プロフィール
書道 彩翠会主宰
NHK広島文化センター講師
日本書芸院一科審査員
書道 笹波会常務理事
読売書法会理事
広島県書美術振興会常任理事
日展会友
 
■おもてなしと書
太田川をのぞむ高台に河原先生のアトリエがあった。気持ちのいい眺めと緑のある環境。ご自宅には氏の作品が飾られていてギャラリーのようであった。お通しいただいたのにもかかわらず、ついつい不躾にいろいろと作品を眺めてしまった。
大きなブラインド式のクロスカーテンに正岡子規の句がしたためられている。柔らかな色彩の生地に金彩で描かれていて、午後の日差しで書かれた文字が色濃く浮かんでいたのが素敵だった。「こうしてみると洋間にも書が合います」と河原氏がお話になった。確かに、書があることで彩りや空間に広がりを感じる。
百人一首の50句が表装された屏風を背後に、先生のおもてなしをうけた。訪れる人があるときは、屏風や作品を替え飾られるそうだ。
後に見せていただいく「暑中見舞い」にも通じる先生のおもてなしの心と、さりげなく表現される心遣いにとてもうれしい気持ちになった。氏の暑中見舞いに送られるものとは、ちいさなうちわに歌がしたためられていて、切手を貼ってうちわのまま郵送される。この小さくて限られたスペースに合う、漢字とかなの文字数まで考慮して手がけられた書中見舞いは、美しい作品だ。送られた方の喜ぶ姿が浮かぶようである。
 
■美しいということ
河原氏が書の世界に入ったのは40年前、当初は漢字を書いていた。書と言われるものは漢字や前衛にいたるまでたくさん触れ、実践された。その10年後にかな書に出会う。
「美しくて、これだと思った、これをやりたいって思った」と氏は語った。
流麗な線が織り成すかな書の魅力。氏にとって素晴らしい出会いだったのだろうとその口ぶりから感じられた。その後、村上俄山氏に師事することとなる。
良い師匠、先輩、同胞、後輩、教え子、書でたくさんの人と出会い、つながっていく。「作品を作るときは1人だけれど、けして独りよがりの世界ではないんです」と書についてその魅力についてお話になった。
 
■歌を書く喜びと古典の研究
氏の作品には歌が題材であることが多く、歌は昔から好きだったとお話になった。句会にも参加することがあるという。かな書をする場合お手本は多くが、古代に書かれた歌やその写しである。改めて古典の研究をする中で、山家集がいまの心に沿うとお話になった。「山家集」西行の歌集の中から氏にきっかけとなった1句をあげてもらった。
「葉がくれに散りとどまれる花のみそしのびし人にあふ心地する」
(氏のHPで作品を見ることができます。http://www.suigetsu.jp/ougi.php)
こうしてフォントで打ち込んだだけの歌ではなんとも味気ないが、氏に見せていただいた古典のお手本からはその流れるような文字や一文字ずつの大きさの違い、紙の空間など全てがそろって心に染み入ってくるような感動がある。氏のお話しになる「かな書の美しさ」を少しだけ理解できたような体験であった。
 
■自由な心
四角の紙に書くよりも変形の用紙、さらに立体の物に作品を描くのがお好きだと笑顔を交えてお話になった。扇、うちわなどの紙・布で製品から、自作の陶板や器・壷など作品の有りようは様々だ。師の自由で美しいものを追求する心が、形になっているようである。
「丁寧に書く、というよりぱっと書く。スリルのあるものに書いていきたい」
適度な緊張感や、はらはら・ドキドキする感じは感動している最中と似ていることなのではないかと推測する。陶芸の嗜みに加え、絵も勉強中とおっしゃられた。「書」のみでもかなりの精神力と体力が必要と思われるが、氏のバイタリティと行動力に驚いた。
「これからは上手くなっていく、というよりは変わっていくということが近いかもしれないですね」と今後についてお話になった。
「美しさ」に出会った感動を未だとどめておられる氏に、こちらも元気とやる気をいただきアトリエ訪問を終えた。
 
<文/中木風子・写真/原敏昭>
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2013/10/01

第70回アトリエ訪問 画家 沼本秀昭

 
プロフィール
1973年 広島県広島市生まれ
1996年 第4回公募「広島の美術」奨励賞受賞
1997年 「第61回 新制作展」入選、以後毎年出品
1998年 広島市立大学芸術学部油絵専攻卒業
2000年 同大学大学院芸術学研究科修了
2002年 「第66回 新制作展」新作家賞受賞(’03、’04同)
現在 新制作協会会員、鈴峯女子短期大学准教授
 
 
■アトリエとは何か
沼本先生のアトリエに伺ったのは初夏だが、その場所だけがアトリエではない。そこは、作品の構想を練り、仕上げる場所である。本当のアトリエは先生の手の中であり、同時に自然と流転のおこる全ての場所が含まれる。いま、広島発信のアートを牽引する作家を輩出している広島市立大学大学院の一期生。版画や油彩を学ばれるうちに、独自の表現を生み出した。砂、流木、自然木。それらが絵の具であり、更なるイメージを呼ぶ。自宅の裏山を散歩して山から木をひっぱってきたり、古家の解体で出てきた木をさらに野晒しにして時間を染ませる。
■創ることが生きること
トンボが飛ぶ空の下でチェンソーとサンダーの音が響く。板面に刃を立てたり寝かせたりして、強弱をつけた削りを入れる。一息つく頃には汗に爽やかな風を受ける。正に森の生活だ。外で制作するのが気持ちいいと感じる源流には、祖父との思い出があるとのことだ。幼い頃写生大会によく連れて行ってもらったり、兼業農家であったため、秋には藁で鳥を作ったりしたそうだ。「自然物を使って外で制作」はそこで育った、心地いいスタイルなのかもしれない。時の厚み、歳月を主題に抱え制作をしてきたとのこと。
長い間雨に晒されながらずっと存在し続ける土壁や石畳。余剰が消え去って残っている物だけの姿。その力強さが、存在の本質だと思う。在り続けているものが持つ風合いに惹かれるのだそうだ。
作品を制作している間、時の経過をあたかも追体験していると感じる。焼いたり、擦ったり、磨いたり、雨に濡らしたり、自然が行うことと、同じ作用をして仕上げていく。
■素直な心は楽しむことを知っている
鈴峯女子短期大学では保育学科の学生に図画工作を教えている。そこで再認識したのは、「作ることは楽しいこと」保育の現場で生まれたときから絵を描くのが嫌いな子どもは居ないと改めて感じたそうだ。表現することは本能なのだ。楽しく、気持ちよく描く。現在八千代の丘美術館で、月1回子ども絵画教室を、また自宅でも月に2回工作•絵画教室をしている。子どもたちに「風を感じて描こう」など、体感する作品作りを勧めている。
■変わらないこと、変えていくこと
2005年頃までの制作では、作品に合わせて製材したばかりの木に古びたような色をつけていたが、次第に偽物を作っているような気がしてきて、現在では自然にうまれた色の風合いを生かすようにしているとのことだ。古墳、石棺のイメージが内に有ったという作品は、半立体で、凸凹した形状が作る陰影も作品の一部だという。最近は半立体の造形と平行しつつ平面性にこだわった制作にも取り組んでいるとのこと。これまでの作品は、物質そのもののインパクトが強い。それに頼らないものを作ってみたくなったそうだ。凹凸のない表現として版画を始めたのだ。大きな板に削りを入れる過程など制作風景は今までと同じであるが、作品には立体の厚みはない。刷り上がったのは、時の跡を表し、人の内宇宙を込めたモノトーンの人物像。先生の作品には寂静を感じる。半立体でも版画でも、制作過程の賑やかな音が吸い込まれ、静かな佇まい。時の経過を含んだ静けさだ。どこか、数百年経って柔和なラインも猛々しさも材の内部に潜ませた仏像を思わせるマテリアル。
■アートの根本と辺際
伺った時には七夕展の用意をされていて、その後の8月は制作に打ち込まれ、秋から冬の発表に備えるとのことだった。秋から京都、名古屋、広島と展開される新制作絵画展。12月には才田博之氏との二人展が三良坂平和美術館で開かれる。<アクティブ・イン・ミラサカ 2013 Part2 会期:2013年12月22日(日)~>才田氏と沼本先生は、かつて「広島の美術」展で、新進の作家どうしとして出逢った。
意気投合し、お互いを高めあう存在として時々活動を共にする。そしてまた、それぞれ自分と向き合う。
そうした動きがまた、若い世代の指標となっていく。拡がっていく渦には中心があり、求心と拡散は同時に始まり、芸術の「場」は作家たちによって脈動する。
沼本先生のようなアーチストが呼吸しているところ。そこが広島なのは嬉しいと思った。
<文/栗田祥子・写真/原敏昭>
 
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2013/09/02

第69回アトリエ訪問   画家 瀬古正勝

プロフィール
元新協美術協会委員・広島YMCAアートスクール講師
海外芸術交流協会創設委員
現在
日本芸術家連盟理事
広島平和美術協会 会長
■制作中の2枚の絵
広島西区の閑静な住宅街の中にあるアトリエを訪問した。広い部屋にイーゼルが二架立てられて、一つには原爆ドームが描かれていた。大作である。氏のライフワーク「平和美術展」に向けて描いている作品。もう片方には、6号キャンバスに厳島神社の大回廊から、大鳥居を望む風景が描かれていた。第31回京都新聞チャリティー展の為に製作中で、収益は福祉事業に使用される。
どちらも広島の象徴といえる風景だ。
■退屈は敵
絵を志したのは18、19頃のことだという。新延輝雄氏福井芳郎氏に師事を受け、20代からは公募団体新協美術協会に所属。その後日本版画協会にも出品。韓国・フランス・モナコへ出品、個展も十数度行い精力的に活動を続けてこられた。
現在氏は71歳、画業は50年を越すことになる。70才台には見えない溌溂としたご様子で、「いつになっても上手くならない」と笑顔でお話になった。現在は公募団体を離れ活動されている。「自分の好きなように描けているから、面白いよね」と、これまでの作品や公募展に出品していた当時の資料や作品写真を見せていただいた。実験的な作品も多く取り組んでいる。“退屈は敵”とおっしゃられた。
■浜崎左髪子との出会いと広島の美術。
書棚から大きなハードカバーの日本画の作品集を取り出し、見せてくださった。前衛的な作風で、現代表現かとも思ったが、日本画家浜崎左髪子の作品集であった。私は初めて聞く名前であったが、平安堂梅坪の包装紙が掲載されていて左髪子のデザインということを知り、とたんに身近に感じた。浜崎氏は面倒見のいいおひとがらで、よくご馳走になったと話された。浜崎邸には当時多くの若い画家が集まり、交流していたという。
青年アンデパンダンでは当団体理事長の三原捷宏氏や現代美術家殿敷侃氏とも作品を並べていた。会派や流派の垣根を越えて、若いアーティスト達が戦後広島のアートを盛り上げようと切磋琢磨していたのだろう。
■丁寧な仕事
1972年から、広島県警の機関紙「いずみ」の表紙とカットを担当する。表紙の多くは木版画が飾っている。冊子を開くとページの半分を占める象徴的なカットから、レイアウトの為の細かいカットまで、丁寧な仕事の版画や素描が紙面を彩っていた。いずみは月刊誌、提出する絵やカットも多く毎月の締め切りもあり、たいへんな仕事だったのではないか?と伺うと「好きだから、ぜんぜん苦にならなかった」と笑顔で答えられた。
氏は13年間、写植の仕事に携わってこられた。記念にとってあるという文字盤を見せていただいたフォントごとにこれを変えるのだそうだ。繊細な作業で感覚とセンスが必要だ。
■平和美術展
今年で59回を迎える平和美術展。現在は会長を務めている。作品の種類は絵画を初め工芸、デザイン、生け花と見ごたえのある展覧会になっている。開催側は展示やイベントの調整に苦心されているとのこぼれ話もいただいた。アンデパンダンの形式をとるこの展覧会は、毎年、反核や平和の思いを込めた多くの作品が展示される。現在では日本各地及び台湾韓国などからも作品が届くそうだ。
被爆地広島で、このアンデパンダン形式の展覧会を続けることの重要性や意味の大きさを感じさせられる。冒頭の原爆ドームの作品は、見る人の平和への思いを強く心に残してくれるだろう。
<文/山口操、中木風子・写真/原敏昭>
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